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浪分神社(なみわけじんじゃ)は、宮城県仙台市若林区にある神社である。災害記念碑。 旧社格は村社。過去の東北地方太平洋側で発生した大地震・大津波を伝える神社として注目を集めている。 ==由緒== 由緒書によれば、もとは現在の鎮座地より南東500メートルにある八瀬川・稲荷堂地区の共同墓地が建つ場所付近に鎮座していたという。往古の当地は現在よりも広く、樹木の生い茂る高さ2メートルほどの小さな丘であったという。元禄16年(1703年)8月16日、当地の隠居であった又右衛門という者が世話人となり、村人が一丸となって石造りの小祠を建立した。 天保6年(1835年)6月25日、仙台地震・天保大津波と呼ばれる宮城県沖地震が発生。同年閏7月には二度の大洪水が襲い、その後も天保10年に至るまで荒天・冷害が起こったため天保の大飢饉が発生した。この惨状を憂いた当時の神主である津田民部は、霞目村の人々から祀られていた山神や庚申・疱瘡神の石碑が立つ現在地を卜占により選定し遷座、いぐねを伐採して社殿を建てて祀ったと伝わる。 天保7年(1836年)には、稲荷大神に加えて海神の娘・豊玉姫神の子である鸕鷀草葺不合尊の御神体を合祀し、石造り神明造の鳥居を奉納して除災祈願を行った。それ以降は津波の被害も減少したと伝えている。その後、明治38年(1905年)には稲荷神社から「浪分神社」へと社名を改め、明治43年(1910年)3月に若林区若林に鎮座する旅立稲荷神社(保食神社)へと合祀された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「浪分神社 (仙台市若林区)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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